はじめまして
私は九星気学鑑定士の 長 佑充(ちょう ゆみ)と申します。
これまで多くの方々の悩み・相談に、気学と易経を基にお答えして大変喜んで頂いてきました。
そこで 2020年3月本業の看護師を辞め 9月に独立開業いたしました。
気学・易経をはじめとする東洋思想と出会い学び始めたのは 今から約10年前になります。
その頃の私は、いくつもの大きな試練を何とか乗り越えてはいたのですが、
何故か心の奥底の不安はぬぐい切れずにいました。
ここで、度重なってやってきた私の試練のお話を少ししたいと思います。
21歳で正看護師免許を取得し 福岡市内の大病院に入職し手術室に配属となりました。
勉強することも覚えないといけない事も多く大変な毎日ではありましたが、日々手術をして劇的に回復されてゆく多くの患者様を看護してきて 医療の最先端で働ける喜びと希望に満ちた日々を送っていました。
その後結婚したのですが それから立て続けに試練が襲ってきました。
第一の試練
それは主人の母が脳腫瘍を患い、私の勤務する病院での手術後から寝たきりの酷い後遺症を残したことです。
52歳の若さでした。
脳腫瘍と言いましても 比較的取り除きやすい場所にできた良性のものでしたし
私の義理の母という事で いつにも増して万全の体制で行われた手術でした。
脳外科の医師達、麻酔科医と私を含む多くのスタッフで繰り返し確認を行ってすすめられ
大成功に終わった!
にも関わらず・・・翌日から昏睡状態になってしまいます。
数日後、意識は回復したのですが、状況はかなり厳しく正直かなりショックでした。
義理母は状況が受け入れられず、時にパニック状態だったり泣き続ける事があったりと、本当に苦しんでいました。
その時、私は第一子を妊娠していて間もなく臨月を迎えます。
お腹の子が元気に生まれてきてくれたら家族も少し明るくなれるかな・・・と出産に臨みました。
比較的安産で元気な産声を上げて生まれてきたのは体重3000gと大きな、玉のような男の子でした。
思いもよらなかった第二の試練
ところが・・・生まれてきた長男は原因不明の、それも現代の医学では治療法がない
最重度の障害を残すか、短命で亡くなる、といわれる病を背負っていたのです。
それから一年近くの母子入院となるのですが 日に日に症状が厳しくなり苦しむ我が子に
どうしてあげる事も出来ず地獄に突き落とされたような毎日でした。
悲しくて涙が枯れるくらい泣きました。 西洋医学の最先端で学びを深めてきていたのに
我が子には何にも役に立たなかったと空しい思いが襲います。
この子の命に付き添っていてあげたいと仕事は辞めました。
義母の介護は義理の父と姉にお願いしました
その後 第二子、第三子を妊娠・出産しました。 正直、怖かったです。
特に第二子(長女)を妊娠中は死ぬことばかり考えてしまっていて 最悪の胎教だったものですから神経質で敏感な赤ちゃんでした。
しかし嬉しい事に健康な身体で生まれて来てくれました。
第三子(次男)も健常児でした。 大変な中にも希望を見つけて頑張っていましたが その頃 三つ目の試練がやってきました。
第三の試練は突然でした
私を陰からいつも支えてくれていた実母が 60歳で若年型認知症を発症したのです。
5年から10年かけて症状は徐々に進行して行き 最終的には人格が全く変わってしまいました。
賢くお洒落で料理上手な自慢の母だったのに・・・悲しくて悔しくて腹立たしくて
どうしようもない感情の波に打ちのめされて、自分も感情のコントロールがうまくできなくなってしまっていました。
母が崩れていく事を、どうしても受け入れたくなかったのです。
母の介護は葛藤の連続で、毎日毎日の長男の療育も本当に大変で 疲れは常に限界状態で、どうしてもイライラしてしまう・・・
そんな毎日で長女と次男に手を上げてしまう事もしょっちゅうでした。
こんなに子供をきつくしかる必要はなかったな・・・と反省してもまた、繰り返してしまう・・・そんなダメな母親でした。
そして、いよいよ母が寝たきりになってきたころ 次なる試練がやってきます。
第四の試練は少し予測できていた事
多感な思春期に差し掛かった長女が 大きくブレはじめました。
家には二人の重病人が居て 母は余裕なく疲労困憊していて常にイライラしていますし
更に学校ではいじめがあっていたりして 彼女は相当苦しかったと思います。
何となくサインはあったのですがどうしても踏ん張って向き合えない、抜け殻のような自分だったのです。
ある日娘がいいました。
「学校に行く意味が分からない!だからもう学校には行きません。ママを見ていて思うけど・・・頑張って何のイイ事があるの?私にママの価値観を押し付けないで!!」と・・・。
そして心を塞いで宣言通り、学校には行かなくなってしまいました。
転がり落ちて行く娘を何とか救いたい・・・でも 既に母子関係には大きな亀裂が入っていて、どうにもできなかったのです。
義母のこと、長男のこと、母のこと、全部辛く苦しかったけれど
でも最後の娘の事が 一番ショックで落ち込みました。
思春期の岐路で彼女を長い長いトンネルに追い込んでしまったのは自分なのだ・・・と
そんなおり 私の父からも「育て方が悪いんだ」と責められてしまいます。
ただただ涙があふれ、「あぁ私、消えてなくなってしまいたいな・・・」と思う日が続きました。
そしてある日〝色と味〟をほとんど感じないようになっている事に気づきます。
ダメだ。変えないと・・・すべてを変えないと!
そして私も変わらないと自分も皆もダメになってしまう!!
それから、勇気を出して様々な方にサポートをお願いして、母と長男は病院と施設でお世話になるようになり、
長女は県外の高校へ そして私は看護師として復職しました。
できるだけ足繁く面会することで母と長男には、せめてもの罪滅ぼしをしてきました。
それから暫くたって 長女が人生の目標を見つける事が出来て少し落ち着いてきた.
その頃、ようやく『気学』との出会いがありました。
気学と出会ってから
気学の世界のお話しは楽しく本当に興味深いものでした。
幸せになれるのならと、素直に簡単な開運アクションから始めてみました。
すると不思議な事に いろいろな事がスーッとスムーズ進んでいくのです。
そして「気学・易経」を通して学んだ 東洋思想の懐の深さにも心底驚かされます。
自分の土台や軸となるところがしっかり定まらないと チョッとしたことでグラグラと動揺してしっかりした対処ができなくなってしまいます。
これまでの自分はまさにこの軸となるところが弱かったのだと思います。
あぁ、もっと早く気学に出会えていれば これまでの試練も明るく前向きな気持ちで向き合えたのではないか・・・と少し残念な思いがありました。しかし過去には戻れません。
これからだ!と気持ちを入れ替えて、楽しみながら学び、実践し続けました。
その後、長女と一緒に住めるようになり、更に彼女は希望の大手IT企業に就職を果たします。
ずっと私を気遣ってくれていた優しい次男も 念願のカナダの永住権を手にすることが叶い、本当にありがたく嬉しい幸せな毎日となりました。
心配すること・・・すべてが杞憂
そんな中、最後に残る私の不安・・・それは年を重ねる不安でした。
母が若くして認知症を発症し、その後の20年間の本人の苦しみ、家族の葛藤を体験しているからです。
でもそれも気学の学びを更にどんどん深めて行く中で 間違いなく杞憂だったと分かります。
吉の作用を体感しながら『気の流れ』を味方につけて 夢や希望に向けてチャレンジして行くのか、心配で不安な未来を思った通り引き寄せるのか どちらを選択するのか、
それは「全て自分次第」なのです!
最後までお読み頂き本当にありがとうございます。
東洋思想は奥が深く 私もまだまだ浅学です。更に学びを深めて精進して行きたいと思っています。
皆さんもご一緒に、気学・易経を学んで運を切り開いてみられませんか?
ご興味を持たれた方は 是非ご連絡をください。
お待ちしております。